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参考文献等
熊野水軍古座河内祭の夕べ実行委員会発行「河内祭ガイドブック」
「紀伊続風土記」「串本百年史、年代表、古代〜中世」「串本百年史、史料編」「西熊野の神々」「潮崎荘」他
著作権等
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古座青年会
東牟婁郡串本町古座
  古座青年会年表
年 代 概   要
明治31年 今まで各一戸ごとに神楽奉舞していたのを、あまりにも戸数が多いため、本年より村会議員・船主・漁士総代等の家のみ奉祭することにきめる。
明治32年6月 上の町の共進会・中の町の飛竜組が合併し、青年党を結成する。下の町の同志社と有為社が勇進会となる。
明治32年 消防ポンプを購入し、青年党・勇進会でそれぞれ2組の消防組合を組織する。(公設の消防組結成は、明治38年9月25日発足)
明治35年 山本英太郎初代党長のもと、古座青年党会館を建築する。
明治43年 古座青年党を、古座青年会と改名する。
大正3年 犬飼毅氏来町。
大正4年10月 城山の公園を整地し、登極記念碑(大正天皇即位記念碑)−高さ4m、幅37cm、厚さ43cm−を青年会・勇進会共同で建立する。
大正4年 しし舞まんま納屋(片屋根)を郵便局裏(現農協)に建てる。
大正6年 しし舞てんま納屋を鎌ヶ谷(現古座川病院)へ移転。
大正6年 祭典中、警官の乗る小舟が、御船の船先を横断したことから、大きな刑事事件(警察官に暴行)に発展。そのため、青年会(岩崎米次郎会長)としても、祭典中の禁酒、ほおかむり、はち巻きの禁止など、自粛を申し合わせる
大正8年 勇進会館建築。
大正14年9月 青年会館の裏のしき地を造営し、建て増す。
昭和9年3月13日 二派に分立していた青年会と新生会(日野常夫)が合併する。
昭和57年6月 現在の古座青年会館を建設
平成11年12月21日 河内祭の御船行事が国指定、重要無形民俗文化財の指定を受ける。
  古座青年会館の歴史

明治35年建設の旧、古座青年党会館

昭和57年建設の現、古座青年会館
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