芦雪と無量寺の街並みを歩く
急ぎ足の観光は、もう古い! ゆっくり、のんびり、贅沢な旅を…
車やバスでサッと通り過ぎるだけの観光が人気だったのは一昔前! ゆっくりと町を歩いてみてください。今まで見えなかった街が見えてくるような気がします。
その街の生活が… 歴史の一端が… 受け継がれてきた文化が見えてくると思います。
南紀熊野の人は一見して無愛想にも感じますが、実はシャイで心の熱い人ばかり! 根は関西人魂一杯のサービス精神に溢れる和歌山県人です。 決して通りすがりの早足の観光では見えてこないと思います。
古い街並み、新しい町、潮風が爽やかな海岸通り、干物の匂いがほのかにする港町を、ゆっくり、のんびり、ぶらぶらと歩いて贅沢な旅をしてみてください。
 江戸時代、串本の袋にあった無量寺は、宝永4年(1707年)10月の津波のために流失。中興の祖と呼ばれる愚海和尚<ぐかいおしょう>により、天明6年(1786年)に現在の位置に本堂が再建されました。

その際、愚海和尚とかねてより親交の厚かった絵師・円山応挙<まるやまおうきょ>は、青年期に愚海和尚と約束した「一寺の主となったとき絵を描きに訪れましょう。」を果たそうとしましたが多忙のため応挙は弟子である長沢芦雪<ながさわろせつ>を使いにたて、これらの障壁画を無量寺までとどけました。

 古くから漁業で栄えた串本には、大きな網元の屋敷や、古い蔵、煉瓦造りの建物などが残されており、狭隘な道には大正、昭和の歴史を感じさせられる風情が漂っています。

 石積みの石垣や石塀などを見ながら無量寺を訪ね、江戸期の名画をご覧頂きたいと思います。

●板塀や石塀の家が続く裏道を…
JR串本駅を西へ延びる駅前通り商店街をすぐに山側へはいると黒塀や石積みの石塀が残る古い家並みが続きます。

駅前商店街は、その昔、現在の国道42号線ができるまで、国道として使われてきた道で、もっと古くは串本の海岸線の砂浜だったそうです。

商店街が海岸線だった頃、この裏道は串本のメインストリートだったのでしょう。
駅前から大正時代の中心であった本町へと繋がっています。
 
●白壁の土蔵や煉瓦造り
元造り酒屋の白壁の土蔵、醤油工場の煉瓦壁などを思わせる、昔の串本の面影残る街並みは、気ままにブラブラ、ルートのとらわれず歩くと街が見えてくるような…

串本小学校南側にある、無量寺は白い土塀に囲まれてあります。

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