源平の歴史を伝える古座街道
室町時代から鎌倉時代に掛けて名を馳せた熊野水軍ですが、時代とともに古式捕鯨の古座捕鯨組として太地鯨方とともに熊野灘で活躍しました。
その古座捕鯨組の拠点が古座川河口域に居城を構えた、小山一族と高河原一族で、室町の時代からの古い歴史とともに現在に至っています。

産業の中心として栄えた古座から、新宮方面や串本方面への幹線道路として、また木材や備長炭の搬路として川沿いにできたのが「古座街道」と呼ばれるもので、現在の新道と平行して河口付近から古座川町高池方面へと今も残っています。

街道の景色は、河口付近から山間部へとそれぞれの地区の特徴を表すかのごとく様相を変え、歴史を感じさせられるものと思います。
●国道42号線、古座川病院前付近から始まる古い街並みは、1月〜2月頃に掛けて特産の青のり採りや干物を干してある漁村風景から始まります。


 古座神社を過ぎて広い道を進むと、左手に老舗の和菓子屋には「しおみ」の暖簾がかかり、右手に細井道が見えてきますが、これが古座街道の入り口


 「船具販売」などの看板が掛かる港町の風情を残す細い道を進んでいきます。御船祭りの「勇進会館」古座流獅子舞の「古座青年会館」と進み、古城山の入り口が見えてきます。


 古城山は、戦国時代の16世紀頃、高川原摂津守貞盛が築城し、新宮勢力の堀内安房守氏善の古座地方への侵攻をくい止めようとしました。
 北側に本丸、南側太平洋に面して二の丸跡があり、熊野水軍の「水軍城」としての機能が見られます。
 この古城中腹に「虎城山 青源寺」がひっそりと昔の面影を残しています。


 古座街道へ戻り上流へと進と、右手には「浄土真宗 善照寺」の楼閣が見えてきます。
浄土真宗善照寺は天正年間(1573〜1592)雑賀衆の山本弘忠(善空)の創建になり、当時善空寺と称していましたが、寛文年間(1661〜1673)に善照寺と改められました。元亀2年(1571)に比叡山から持ち出されたという鎌倉期の絹本著色阿弥陀三尊画が安置されています。


 さらに上流へと進と、道は新道と交差して川筋へとかわり中湊地区になります。この付近からは、近年になって古座川上流域から切り出された材木業で賑わいを見せた名残が街並みに見え、中世から江戸時代に賑わった街並みが、近年の賑わいにかわっていく不思議な風景が見られます。


 老舗の呉服屋さん、うなぎ屋、旅館が続き、センダン並木が続く街並みは、高池地区へと続き、新道へと繋がり終点となります。


 さらに古座川上流へ1km程すすむと、古座の御船祭りが行われる、「清暑島」が見えてきます。

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所  在  地 和歌山県東牟婁郡串本町古座
交通・アクセス JR紀勢本線古座駅
問い合わせ先 電話:0735-62-3171
備      考

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 和歌山県東牟婁郡串本町須江1039-1
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